~ニコドラゴのゲーム集い「メンタルを乗り越えた先に…」~

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【ネタバレ注意】夜廻三の考察をしてみた件について

どうも、ニコたっちゃンです。

無駄に話したいオタク欲があるので、今日はポケモン以外にもいろんなゲームを遊んでいる中で、ホラゲー中の神ゲーである「夜廻三」について自分なりにいろいろと考察してみました。

一応アイテム、トロフィーを全て回収しているのでネタバレ要素多いです。

クリアしてない人はブラウザバックをオススメします。それでも気になる人は自己責任でお願いします。

また、個人的な考察なので文句は受け付けませんw

目次

 

 

 

人面鳥「コトリ」について

人面鳥「コトリ」

今作夜廻三のストーリーで重要な存在であるコトリですが、コトリは何者なのかについて考えました。

 

前作の「深夜廻」では、縁切りの神様である「コトワリ様」という神様がいましたが、人々から忘れ去られてしまい且つ人々の負の感情に耐え切れなかったため、人の形をしたもの全てに対して攻撃を振り回し夜の街を徘徊している主人公たちを襲い掛かっていました。

また、一番最初の作品である「夜廻」では、「ヨマワリさん」という夜の街を徘徊している子供たちを廃工場に連れ去るという子供たちからは噂のような言い伝え的な存在でした。

今作の「コトリ」はというと、夜の街を徘徊すると所々に地元の子供たちが残したメモや街の民話の説明に「『コトリ』は人の顔を持つ鳥」や「その大きな目で街の中をいつも見張っていて、誰かの物を盗む人がいないか探している」と書かれています。また、街にある神社にはこのような文章が書かれている看板がありました。

 

この内容から、「コトリ」は空から悪い人がいないか探している神様なのでは?という事になると最初は考えました。

しかし、ストーリー終盤で明らかになりますが人面鳥「コトリ」はストーリーの鍵となる人物のお姉さんが「呪い」の影響で「コトリ」になることがわかります。そのため、「コトリ」は神様とは少し違うような存在に感じました。

(呪いとお姉さんについては後で考察した内容を書きます。)

 

なので、ここからは僕の憶測になるのですが自分はこのように考えています。

  • 「コトリ」は人間が呪いの餌食となって生まれた存在で神様はまた別の存在

その理由として、お姉さんは呪いの影響を受けて人面鳥「コトリ」になってしまいます。そのため、人間が呪いを受けると「コトリ」になる=呪われないと生まれる事ができないのでは?と考えました。

 

実際、呪われたお姉さんの見た目が顔の右半分と左半身が呪いの影響で鳥のようになっています。「左:呪われる前のお姉さん、右:呪いの影響を受けたお姉さん」また、主人公も呪いの影響で髪型が少しお姉さんのような雰囲気になってしまいます。(主人公はネタバレ防止で撮っていませんでしたw)

 

また、神様というのはラスボスの事を指しており、「コトリ」は街を見るいわば監視カメラ的な存在なのかもしれません。なので、夜の街でいろんなものを拾っている主人公を「コトリ」は襲うのかもしれません。(ラスボスがコトリを操って襲っているのかもしれない)

 

とりあえず、「コトリ」は人間が呪いの餌食、もしくは別の要因で生まれた存在で、神様はラスボスの事を示していると僕は考察しました。

 

 

ラスボスと呪いについて

次に、夜廻三のラスボスと呪いについて考察した内容を書こうと思います。

呪いについて簡単に説明すると

  • 「学校の屋上である特定の行動(儀式的な何か?)を行うと「森」に行く事ができ、その森に入る事で呪われてしまう」という事。(お姉さんが言うには「学校の屋上が森の入り口」と言ってた。)
  • その「森」の雰囲気としては薄暗く、雪が積もっており季節的に冬だという事が分かります。(公式サイトのPVでも移っている場所)
  • 呪いを解くには「2つの鈴を神様(ラスボス)に返す事」。一つは主人公が飼っていたムギという猫の首輪についていた鈴、もう一つはお姉さんのお母さんが持っていた鈴の2つの事。

     

 

次にラスボスについて簡単に説明をすると

  • 見た目は「陰陽マーク」のような見た目で色合いも赤黒い。(個人的に人間や動物の内臓もしくは脳をイメージさせるような見た目に感じた)
  • 攻撃方法として無数の手のようなものを使ったり、自分の分身を出現させて主人公に突進するなど、多種多様な攻撃で主人公に襲う。
  • ラスボスがいた場所は、先ほど述べた「森」の奥地にいる。

 

呪いとラスボスを簡単に説明したところで、個人的に疑問に思った事は以下の2つについて感じました。

  1. 何故、森の入り口が”学校の屋上”なのか
  2. ラスボスと「コトリ」の関係

 

まず、「1.何故、森の入り口が”学校の屋上”なのか」について考えました。

確かに学校では「学校の七不思議」というものがあり、ゲーム内でも学校の七不思議がありました。そして、7つ全部知ってしまうと呪われる!みたいな怪談があります。しかし、僕はそんな単純な事で森の入り口になるのかと思ったのでいろいろと考えた結果、、、

「学校には様々な気持ちや感情、いろいろな思い出が宿っているから学校が森の入り口になったのでは?」と考察しました。

 

その理由として、「夜廻三」のオープニングで主人公はある出来事をきっかけに学校でいじめを受けている場面から始まりました。そのいじめ内容はあまりにも酷くて、自分も中学生の時にいじめを受けていましたが、それ以上の内容だったので衝撃的でした。また、学校には楽しかった事、嫌な事など様々な思い出や懐かしい気持ちなどが実際にもあると思います。僕自身もいじめを受けた嫌な思い出もありますが、楽しかった思い出もあります。そのような物を「記憶の神様」が好んでいた、またはそれを察知したのか学校に居座るようになり森の入り口が学校の屋上になったのではと考えます。

 

次に、「2.ラスボスと「コトリ」の関係」について考察してみました。

一番の疑問点は、”いつから人面鳥「コトリ」という存在が出てきたのか”という事だと思います。ラスボスは前作の「深夜廻」の縁切りの神様「コトワリ様」、人面鳥「コトリ」は「夜廻」に出てきた「ヨマワリさん」噂のような言い伝え的な存在に近いのではと感じました。

 

そのため、ラスボスが何らかの外部からの影響が原因で、「コトリ」という存在が現れるようになった。と考えました。

 

ラスボス=「コトワリ様」みたいに元々は神様だった。ということは、今作のラスボスは元々どんな神様だったのかというと、ゲーム内ではいつも通り述べられておりません。ただ、ゲーム内でお姉さんは「呪いの影響として記憶が少しずつなくなってしまう」と述べていました。このことから元々は「嫌な記憶、忘れてしまいたい記憶を消す神様」だったと思います。(ここからは、ラスボス=「記憶の神様」と言います。)

しかし、時代が進んで行くごとに「コトワリ様」と同じように祀られてた神社は廃墟化としており、人々から忘れ去られてしまった結果、「大切な思い出も全て消してしまう神様」になってしまったと考えます。

実際に祀られてたと思われる神社を見てみると、建物や敷地内はボロボロになっており、手入れなどが一切されていませんでした。

このことから、外部の影響=>人々から忘れ去られてしまった結果、悪い神様になってしまった。と考え、そのような負の感情が原因となって呪いというものが出てきたと考えました。

 

※少し考察について調べていたら、ある動画で「学校を建てるために大樹を切り倒した。」みたいな事が書いてある本が図書館にあるらしく、確認をしたら本当にありました。なのでもしかすると元々神社だった場所が学校になるために取り壊され(その後、神社は今の場所に引っ越した可能性大)、ラスボスが宿っていた神木の大樹も切り倒されてしまったため、呪いが生まれた可能性があるかもしれません。

 

ただ、疑問点としている”いつから人面鳥「コトリ」という存在が出てきたのか”

これについて、まだ解決ができていません。

 

『「記憶の神様」が悪い神様になってしまったから、人面鳥「コトリ」が出てきた。』

では、いくら考察でも雑だと思いました。そのため、今まで街で拾ってきたアイテムなどを一から全て見直してみたところ、引っかかる部分を見つけました。

お姉さんが書いた「丸文字のメモ③」の内容には「何故か、自分の家の場所をすぐに思い出せなかった。」と書いてあります。しかし、この時はまだお姉さんは呪われていません。

実際に「記憶の神様」に呪われたのは「丸文字のメモ⑦」以降からだと考察できます。

 

 

 

このことから、呪いの影響は「自分の記憶が少しずつなくなってしまう+周りの人間からも呪われた人の記憶が無くなってしまう」という事なのでは?と考えました。確かにゴリ押し感があるかもしれませんが、いつから人面鳥「コトリ」という存在があったのか書かれていない理由になると思いました。

 

まとめると、「記憶の神様」は元々「嫌な記憶、忘れてしまいたい記憶を消す」良い神様だったが、人々から忘れ去られてしまった結果、悪い神様になってしまい、その負の感情が原因となって呪いというもの存在するようになった。そして、人間が森に入り呪われることで人面鳥「コトリ」という存在になってしまい、自分の記憶が少しずつなくなってしまい、同時に周りの人間からも呪われた人の記憶が少しずつ無くなってしまう。また、人面鳥「コトリ」がいつから存在しているかについては、呪いの影響によって文献や記録がほとんど消されてしまった(無いものとなってしまった。)ため、情報が曖昧である。と考えました。

 

余談になりますが、森の中で雪が降ってたり季節が冬の理由としては、ゲーム内で主人公が「この森は時間軸がおかしくなっている」と言います。実際にお姉さんから貰った懐中時計の時間は狂っていました。そのため、季節なども狂った状態になっていたのかもしれません。また、「記憶の神様」の見た目からも「陰陽マーク」に似ているといいました。「陰陽マーク」の意味としては、光と影、ポジティブとネガティブ、熱い冷たいなど2つの要素で世の中はできているという意味があります。

もしかすると、「夜の街」⇔「森」みたいな関係性を示しているのかもしれません。

 

お姉さんについて

ここからは、「お姉さんについて」について疑問や思った事について考察をしたいと思います。

まず、以下の2つについて個人的に疑問に思いました。

  • 何故「記憶の神様」や「コトリ」に詳しいのか
  • お姉さんは結局何者なのか、何故呪われたのか、目的

何故「記憶の神様」や「コトリ」に詳しいのかについては、ゲーム内のイベントで「1年前にいなくなったお母さんを探している」と主人公に述べており、街に落ちている「丸文字のメモ」からも街のオバケや民話について、いろいろと調べていることがわかります。

 

また、主人公がまだ幼い時にお姉さんと会っており、一緒に街のいろんなところに訪れていました。さらに主人公は昔お姉さんのお母さんに一度会っており、飼い猫ムギと一緒に写真を撮っていました。そのため、「記憶の神様」や「コトリ」以外にも主人公や飼い猫ムギについても詳しいことになります。

 

お姉さんの名前についても、街に落ちている「丸文字のメモ⑥」から判明します。メモの内容は「街に伝わる鳥の怪物は、偶然にも私の名前と同じ『コトリ』と呼ばれている。」と書かれています。

 

思い出の映像では、主人公と会話のシーンで夜の学校で肝試しをすると聞いたお姉さんは主人公に「学校に入れて」とお願いされ、主人公はお姉さんを学校に入れるようにしました。そして、お母さんが1年前に撮った写真の場所が学校の屋上で撮った写真という事が分かったため、お姉さんはお母さんを探すために自ら森へ入りました。その森の中でお母さんの死体を見つける事ができましたが、「記憶の神様」から呪いを受けることになります。

 

このことから

  • お姉さんの名前は「コトリ」。
  • 1年前にいなくなったお母さんを探しており、「記憶の神様」や「コトリ」以外にも主人公や飼い猫ムギについても詳しい。
  • 2人とも呪いについて詳しく知っており、お姉さんのお母さんも「記憶の神様」から呪いを受けた。

という事がわかります。

 

まとめると、

  1. コトリ姉さんは昔から主人公と街を探索するほど仲が良い関係で飼い猫ムギについても知っている。(この時はまだコトリ姉さんのお母さんは行方不明ではない)

  2. それから月日が経ち、1年前にコトリ姉さんのお母さんが行方不明になったため、コトリ姉さんはお母さんが残した写真を手掛かりに夜の街を探索して人面鳥「コトリ」や「記憶の神様」などについて調べるようになった。(しかし、この時から呪いの影響でお母さんと関係がある事は記憶が少しずつ無くなってしまう=>コトリ姉さんは実家の場所を忘れていた。)

  3. 街を探索している時に1年ぶりに主人公と出会い、主人公にお母さんを探していることを明かす。

  4. そして、夜の学校に肝試しをする主人公に「学校に入れさせて」と頼み、学校の屋上でお母さんが残した写真の手掛かりと森の入り口を発見し、森に入り「記憶の神様」に呪われる。(森の中でお母さんの死体を発見した=>コトリ姉さんの目的が達成)

  5. しかし、呪われてしまったので呪いを解くために2つの鈴を探し回ったが、見つからないまま人面鳥「コトリ」となってしまった。(この時からコトリ姉さんと関係がある事は呪いの影響で記憶が少しずつ無くなってしまう=>主人公自身もコトリ姉さんの存在を忘れている。)

以上がコトリ姉さんについての情報と考察になります。

 

また、コトリ姉さんが人面鳥「コトリ」になる前は、お母さんが呪いの影響で人面鳥になっていた可能性がある。そして、コトリ姉さんは2つの鈴のうちお母さんが持っていた鈴を持っていたので、森の中で見つけたお母さんの死体から見つけたものなのかもしれません。

 

鈴について

ここからは鈴について少し触れたいと思います。

+αで主人公のお母さん、ムギ、コトリ姉さんのお母さんについても考察したことを書こうと思いますが、約9割5分が妄想になるため「なるほどね~」や「へ~そんな考えもありそう」みたいな感じで読んで下さいw

 

まず、鈴は合計で2つあり、「ムギ」(首輪についてた鈴)と「コトリ姉さんのお母さん」がそれぞれ1つずつ持っていた事、そして「記憶の神様」から受けた呪いを解くために2つの鈴は必要であり、2つの鈴を返さないと無いと呪いを解除する事ができないという事でした。

ここでの疑問点としては以下の内容があると思います。

  • 2つの鈴が必要な理由
  • ムギの首輪についていた鈴は、主人公のお母さんが付けたと書いてあった
    =>なぜ主人公のお母さんが鈴を持っていたのか
  • コトリ姉さんのお母さんも鈴を持っていた
    =>呪いの存在や鈴について詳しい可能性が高い

 

一つ目の2つの鈴について、鈴と神様との関係性を調べてみたところ、神社と関係がある事が分かり、鈴について以下の二種類の鈴がある事がわかりました。

  1. 「御鈴」
    参拝客がお賽銭を入れて神様に手を合わせる場所に頭上に吊るされてる大きな鈴の事。
    人間界で言うところのインターフォンのような役割の鈴で、参拝の前に神霊を呼び出す神聖な意味がある

  2. 「神楽鈴」
    神職や巫女が神事の際に用いる鈴(「君の名は」で巫女の姿の三葉が持っていた鈴の事)
    災いを退けて福を招くことを祈り願う儀式や古くは巫女が神憑り(神霊が人の体にのりうつること。)するために鈴を用いて神楽を舞ったのが始まりとも言われています。

上記の内容から、もしかすると「ムギ」と「コトリ姉さんのお母さん」が持っていた2つの鈴には、それぞれ「御鈴」「神楽鈴」の役割を持っていた可能性があると思います。そのため、”御鈴で「記憶の神様」を呼び出して、神楽鈴で「記憶の神様」から受けた呪いを祓う”という事を行うため、2つの鈴が必要であったと考察します。

2つの鈴を「記憶の神様」に渡す事で、神様とのつながりを絶つこと=呪いからの解放になるのかなと思います。

 

次に2つ目、3つ目で述べた、主人公のお母さんとコトリ姉さんのお母さんについて考えてみました。

 

まず、主人公のお母さんがムギの首輪に鈴付けたとアイテムの説明に書かれていたことから、主人公のお母さんは最初から「記憶の神様」や人面鳥について知っていた可能性があると思いました。

しかし、それについての詳しい内容がゲーム内でも語られておらず、唯一ある情報としては、「VS.人面鳥」の際に正しい記憶を思い出せない状態で勝つとバットエンドになるのですが、そこの最後のムービーで幼い頃の主人公が「お母さんから貰ったおもちゃの懐中電灯」を出してコトリ姉さんに自慢していた映像が流れるのですが、その場面で初めて主人公が「お母さん」という言葉を発言しています。他の場面では一番最初の方で「お父さん」と言っている場面がありますが、そこでは「お母さん」という言葉はありませんでした。

 

コトリ姉さんのお母さんについては少し述べましたが、1年前に学校の屋上から森の入り「記憶の神様」から呪いを受けていた。また、主人公のお母さんと同じく元々1つ鈴を持っていて「記憶の神様」や人面鳥について詳しかった可能性があると思います。

ただ、情報としてはそれぐらいしかないため実際のところどういった人物なのかゲーム内で語られておりません。唯一、コトリ姉さんのお母さんが書いたと思われるメモが街に落ちており内容を見ると「記憶の神様」が鈴を探している事や呪われた事について書かれている事が分かります。

 

 

結果的に、二人のお母さんについての情報がほとんど無いのでわからないという事になりますが、共通点としてはどちらも鈴を持っていて街の民話や「記憶の神様」について詳しい可能性が高いというところだと思います。

そのため、ここからは妄想になりますが、二人のお母さんはどちらも「記憶の神様」が祀られている神社の神職をやっていてどちらも知り合いだった。そして、それぞれ2つの鈴を持っていて長い間守っていたが、何らかの原因で(神社だった場所が学校になるために取り壊された事や信仰がほとんど無くなってしまった事など)辞める事になり、2つの鈴はそれぞれが管理する事になった。

しかし、月日が経ち「記憶の神様」が暴走をしている事を知ったコトリ姉さんのお母さんは、それを止めるために街を調査している際に呪われてしまい、主人公のお母さんも何かを察したのか飼い猫ムギに鈴をつけて独自で調査などをしていたかもしれません。

以上が考察(妄想)して整理した内容です。

 

キャッチコピーと夜廻シリーズおなじみ「左関係」について

最後に、このゲームのキャッチコピーである「まぶたの裏で、君が死ぬ」について思った事、そしてシリーズおなじみ”左関係”について考察したことを話して終わりたいと思います。

 

まず、最初にこのキャッチコピーを見た時は正直よくわからなかったです。

しかし、ストーリーをクリアして再度このキャッチコピーを読んだ時は、深いな~と感じました。

ストーリーの終わり方としては、主人公は呪いを祓う事に成功しますが、コトリ姉さんは呪いを祓う事ができずに行方不明になってしまい、主人公が「お姉ちゃん!」と叫んでエンドロールという感じのシリーズおなじみ”ビターエンド”で終わります。

「記憶の神様」との激しい攻防を乗り越え、コトリ姉さんと主人公が一緒に鈴を返す際にお姉さんが

「いつかもっと大切なモノに出会うだろう、私の事なんか忘れちゃっても仕方がないよ。」

「でも・・・いつか・・・ふとした時に、私の事を思い出してくれるかな・・・?」

「・・・そうだといいな」

と言っていました。

それを思い出した事であのキャッチコピーの意味を自分なりに理解できました。

 

キャッチコピーである「まぶたの裏で、君が死ぬ」

僕はこのように解釈してみました。

一瞬一瞬の思い出、楽しい思い出、辛い思い出は忘れるかもしれないけど、大切な人との思い出はふとした瞬間に思い出して忘れないでね」

という事を比喩的に表現しているように感じ、このゲームを遊んだプレイヤーに伝えているように感じました。

また、人間のまぶたは閉じたり開いたりを一瞬で出来る事から「そのまぶたを閉じた時に見えなかった一瞬の時間と同じくらい、大切な人との思い出は忘れないでね」と伝えているようにも感じました。

 

最後に夜廻シリーズおなじみの”左関係”について気になったのでいろいろと考察しました。

夜廻シリーズは毎回必ず主人公は左関係の物を無くしていきます。例えば、「夜廻」では左目を失い、「深夜廻」では左腕を失います。

しかし、今作の「夜廻三」では主人公は無傷のままストーリーを終わりました。

最初は左関係が今作無いのかと思いましたが、重要な化け物である人面鳥「コトリ」のキャラデザを見た時に左回りだ!という事に気づきました。

そして、もう一気づいた事でお姉さんの呪われた姿を見た時に”顔の右半分”と”左半身が呪いの影響で鳥の姿”になっています。よく考えたら、人間の構造的に”右脳は左半身を動かしています”。さらに、右脳について調べると「右脳の役割としてはイメージ力や記憶力、想像力やひらめきを司る脳」という内容が書いてありました。

 

・・・まぁ単なる考察なので、信じるか信じないかは貴方次第ですって事になりますw

 

感想・まとめ

以上、自分なりの考察と最後の方はほぼ妄想というよくわからない考察ブログでしたw

最後まで読んで下さりありがとうございました!

ここまで読んでくれた人は暇人かなと思っていますw(考察作った本人もなw)

 

今作の「夜廻三」を完走した感想ですが、夜廻シリーズの中で一番面白くてそして切ないストーリーだと思いました。このゲームをやって改めて”大切な思い出”は大人になっても忘れないようにふとした瞬間に思い出してみようと思いました。

個人的にヨマワリさんとか前作の主人公がいなかったのが少し悲しかったですが、DLCがある事を願っていきたいと思います。

本当に夜廻シリーズは考えさせることが多いので、本当に大好きなゲームです。

自分もホラゲーが苦手ですが、一度でもいいので夜廻をやったことが無い人は、ぜひ触れてみて欲しいと思っています。

 

改めてここまで読んで読んで下さり本当にありがとうございました。

ニコたっちゃンでした~